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東京地方裁判所 平成4年(行ウ)3号 判決

原告

甲田甲吉

右訴訟代理人弁護士

林浩二

被告

内閣官房長官熊谷弘

右指定代理人

松村玲子

村田英雄

峯岸貞治

吉越裕二

小山内忠彦

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が原告に対してなした平成二年六月二八日付総理府事務官辞職承認処分(以下「本件辞職承認処分」という。)を取消す。

第二事案の概要

本件は、総理府事務官の地位にあった原告が辞職願を提出したことから本件辞職承認処分となったところ、原告は、この辞職願は、職場の上司等から様々な脅迫行為等を受けたために神経症等に陥り、是非弁別能力欠如の下になしたのであるから無効であるとし、あるいは、有効に撤回されたとして、被告に対し、本件辞職承認処分の取消しを求めた事案である。

一  争いのない事実

1  原告は、昭和四三年四月一日付で総理府恩給局に採用され、同四五年七月一六日付で内閣総理大臣官房内閣文庫長付庶務係、同四六年七月一日付で公文書館内閣文庫管理係、同四八年四月一日付で公文書課目録係、同六一年一〇月一日付で同課専門職付併任となり、同六二年四月一日付以降同課目録係主任として勤務していた。

2  原告は、昭和六二年五月から体調不調、慢性胃炎等の理由で病気休暇を断続的にとっていたが、平成二年二月二三日から同年五月二二日まで不安抑欝状態のため休養加療が必要である旨記載された駿河台日本大学病院医師浅川の作成した同年二月二六日付診断書を提出し、長期病気休暇をとり、引き続き同年五月二三日から同年六月二二日まで、同一病名で病気休暇をとっていた。

3  原告は、平成二年六月二八日付辞職願を提出し、そこで、被告は、同日、本件辞職承認処分し、原告は、同月二九日、人事異動通知書の送達を受けた。

4  そこで、原告は人事院に対し、同年一〇月五日、本件辞職承認処分についての審査請求をしたところ、人事院は、平成三年一〇月一四日付で「本件辞職承認処分を承認する。」との裁決をなした。

二  争点

1  本件訴えの適否

本件訴えは出訴期間を徒過した不適法な訴えであるか、あるいは、審査請求前置の要件を欠いた不適法な訴えであるか否か。

2  本件辞職承認処分の有効性

(原告の主張)

1  本件辞職願の提出は、原告が公文書館で強度の威迫行為を受けたことから、神経を病み、不安抑欝症及び神経症に陥り、是非の弁別能力に欠ける状態下でなされたから無効である。

2  本件辞職願の提出は原告が公文書館職員から様々な脅迫行為を受けてなされたのであり、原告は、本件辞職願を提出した翌日である平成二年六月二九日、辞職の意思表示を取消したから、本件辞職願は無効である。

3  原告は、平成二年六月二九日、本件辞職の意思表示を口頭で撤回する旨の意思表示をしたから、本件辞職願いは有効に撤回されている。

第二(ママ)争点に対する判断

一  本件訴えの適否について

本件辞職承認処分は、原告の総理府事務官としての地位を喪失させる処分であり、しかも、原告の意思に反してなされたと主張しているのであるから、国家公務員法八九条一項に定める処分ということができる。

そして、原告は人事院に対し、平成二年一〇月五日付で本件辞職承認処分についての審査請求をなし、これに対する人事院の裁決は平成三年一〇月一四日付でなされ、本件訴えは、平成四年一月一三日に提出されているから、行政事件訴訟法一四条一項の三か月の出訴期間内になされたことは明らかであり、国家公務員法九二条の二の審査請求前置の要件をも充たしているといえる。

二  本件辞職承認処分の有効性について

証拠(〈証拠・人証略〉)によると、次の事実を認めることができる。

公文書館庶務課長津田義明(以下「津田課長」という。)は、同職に就任した際、前任者から受けた事務引継ぎの中に原告に関する事項も含まれていた。すなわち、原告は病気休職中であり、当局に対して三つの要求をなしていること、この要求というのは、公文書専門官であった乙倉乙一を処分すること、原告を昇格・昇進させること、職場の環境を改善することということであり、原告は以上の三つの要求が受け入れられれば職場に復帰すると述べているが、職場復帰は不可能ではないかと考えている、ということであった。

そこで、津田課長は、何回となく病気休職中の原告と直接面談したり、あるいは電話をしたりして原告の病状把握に努めたり、原告の右の要求の真意を直接尋ねたりし、そして、平成二年五月二八日ころには、原告と原告がかねてから相談していた吉村弁護士同席のうえ面談したところ、同弁護士から原告の職場復帰の希望が述べられ、これに対し、原告が勤務可能であるという診断書と原告の勤務をするという意思の確認が必要である旨述べたところ、原告は、病気は本人以外には分からない等と述べ、結局何らの解決策をも見出せないままであった。

その後の同年六月二一日、津田課長は、原告と吉村弁護士を交え公文書館会議室において面談したところ、同弁護士から原告が復職可能な状態に回復した旨記載された浅川医師作成の同月一八日付診断書を提示されて職場復帰の希望を述べられたので、明日から定時に出勤して欲しい旨を述べ、原告は、翌日から出勤することになった。

そこで、原告は、翌二二日午前一〇時ころ、出勤するため庁舎に入ったものの、受付付近でたまたま談笑していた守衛に嘲笑されたものと受取り、事務室に入らないで帰宅してしまった。そして、原告は、同日午前一一時ころ、津田課長に電話し、「出勤したところ、たまたま居合わせた守衛が私のことをノイローゼだと言った、あなたは環境が変わっていると言ったが、何も変わっていないじゃないか。このままでは、また私を怒らせることになるので、父の言葉に従って帰ってきた。」等と述べた。これに対し、津田課長は、「まだ昼からもあるし、理由のない休暇は認められないから、すぐに出勤して欲しい。」と述べ、そして、事実関係を確認するため守衛から事情を聴取したが、原告が述べるようなノイローゼ等の発言をした者のいたことを確認することができなかった。

原告は、同月二八日午前九時四〇分ころ、津田課長に電話でとにかく話をしたい旨述べ、この場所として公文書館の近くの毎日新聞社地下の喫茶店を指定したので、津田課長は、同一〇時三〇分ころ、同喫茶店において原告と面談したところ、原告は、同課長に封をした封筒を手渡し、同課長が内容を尋ねたところ、「退職願が入っている。」と答え、同課長が開封を要求したのに対し、公文書館に帰ってから開封して欲しい旨述べて聞き入れようとはしなかった。そこで、同課長が原告に対し、退職は自身の意思によるものか否か、何日付であるのか、発令日は何日付を希望するのか等を尋ねたところ、原告は、「これまでいろいろ考えてきた。しかし、もう決断した。」と答え、退職の発令日については、何日でもいいこと、退職願の日付である六月二八日付でも良い等と答えた。そのほかに原告は同課長に対し、退職金が支給されるまでの期間のこと、共済年金の関係等を質問し、これに対し同課長は、可能な範囲で手続を進めて行きたいと答えた。そして、原告は、津田課長の質問に答えて退職後の生計等について語り、同課長の求めに応じて握手して別れた。

右の面談は約二〇分間に亘って行なわれたが、この間原告は終始落ち着いて対応していた。

なお、津田課長は、右に先立つ同月一四か一五日ころ、原告から退職願の書式についての電話による問い合わせを受けたことがあったが、これに対し同課長は、内閣官房長官宛てに、退職理由と日付、氏名とを書き、捺印すれば良い旨答えていた。

津田課長は、右六月二八日、公文書館に帰った後、次長及び原告の直属の上司である公文書課長の三人で原告から受取った封筒を開封したところ、本件辞職願が同封されていたので、同課長らは、これが原告の自筆によるものであることを確認し、次長から館長に報告するとともに、原告の辞職を承認しても特に業務に支障がなかったこと、原告の意思によるものと判断したことから、この取扱いを協議した結果、公文書館としては本件辞職願を承認することとなった。そこで津田課長は、内閣官房人事課に事前説明をし、同日付で辞職承認の上申をし、本件辞職承認処分となった。

なお、原告は、本件辞職願に同封されていた手紙において、今後の連絡は一切手紙でして欲しい旨記載していたので、津田課長は、同日午後六時ころ、書留速達郵便で人事異動通知書を原告宛てに郵送し、該通知書は同月二九日原告に送達された。

ところが、原告は、右二九日、津田課長に電話し、「どうしてこんなことになったのだ、お前のせいだ。」と大きな声でいい、そして、本件辞職願の理由について、事実と異なるので「都合により」を「体調がすぐれず」に書き直した辞職願と差替えたい旨申し出たが、これに対し、津田課長は、先に提出された辞職願で内閣官房長官の決裁が下りているので、現時点で差替えることはできない旨答えた。

原告は、その後公文書館において、父とともに津田課長と面談し、父共々再就職の方法はないかどうか、本件辞職願の撤回はできないかどうかを質問し、これに対し、津田課長は本件辞職願は正式に受理されたし、原告自身の意思で書いてあるから撤回はできない旨答えた。

なお、原告は、数回に亘り津田課長に電話をかけ、本件辞職願を差替えたい旨希望していたが、同年七月一八日付の封書をもって、体調がすぐれず退職させていただきます旨記載された同年六月二八日付退職願を郵送してきた。このようなことから、津田課長は、内閣官房人事課と相談したところ、原告の意向に従うのも止むを得ないということであったので、先に提出された辞職願と差替える措置をとった。

以上の事実が認められ、これによると、本件辞職承認処分は原告の任意の意思により作成提出された辞職願によりなされたといえる。

ところが、原告は、本件辞職願の提出は公文書館における原告に対する強度の威迫行為を受けたことから不安抑欝証(ママ)及び神経症に陥り、是非の弁別能力に欠ける状態下でなされた旨主張する。

なるほど、原告の供述(含む陳述書)中には、原告は総理府事務官在職中、公文書専門官であった乙倉乙一から嫌がらせを受けたとか、津田課長から免職処分にする旨大声で怒鳴られた等の部分があるが、右乙倉の件に関しては、同人は昭和六二年一一月一日付で退職し、翌二日から非常勤職員として公文書館二階で勤務するようになった(右陳述書)というのであるから、原告が乙倉に対し非常な不快感を抱いていたとしても、本件辞職願の提出とは直接の関連性があるとは考えられないし、また、津田課長の右発言の件に関しては、同人の証言と対比してにわかには信用できない。そして、他に、原告が本件辞職願を是非弁別能力の欠ける状態下で提出したことを認めるに足りる証拠はない。

したがって、この点に関する原告の主張は採用しない。

次に、原告は、本件辞職願の提出は脅迫によってなされた旨主張し、これに沿った供述をするが、津田課長の件に関しては右の述べたとおりであり、他に原告の右主張を認めるに足りる証拠はないし、本件辞職願提出後の経緯は前記認定したとおりであり、原告が六月二九日に右辞職の意思表示を取消したことを認めるに足りる証拠もない。

したがって、この点に関する原告の主張も採用しない。

最後に原告は、本件辞職願を撤回した旨主張するが、本件辞職願提出後の経緯は前記認定したとおりであり、右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

したがって、この点に関する原告の主張も採用しない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 林豊)

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